Masaru’s Eye | AI全盛時代の、小さな国の戦い方──バンコクで聞いた話は、そのまま日本に当てはまるのかも

Oranuch Lerdsuwankij氏(通称Mimee)
Photo credit: Masaru Ikeda
バンコクで8月末、「Techsauce Global Summit 2026」が開かれた。今年で10回目になるタイ最大のテックカンファレンスである。初日の開幕、Techsauce CEO の Oranuch Lerdsuwankij氏(通称Mimee)が壇上でこう言った。
「本当の問いはもはや「現在の不確実性をどう乗り切るか、どう生き延びるか」ではない。数年前のコロナのような局面とは違う。私たちが自らに問うべきは、地図が描き直されつつある世界で、自分たちをどう再配置するか、だ。」(Mimee)
彼女は今年1月の世界経済フォーラム(通称ダボス会議)で、専門家たちが今年を「競争の時代」の始まりだと語っていたと続けた。1月14日公表の「グローバルリスク報告書2026年版」 は、1,300人超の専門家調査をもとに地経学的対立を2026年の最大リスクに据えた。
Techsauceで3日間、壇上の皆が立場を変えながら同じ問いを扱っていた。規模でも資本でも米中に勝てない国は、どうやって戦うのか。それはタイや東南アジアの問いとして語られていたが、聞きながら考えていたのは、日本も同じ側にいる、ということだった。米中と比べれば、日本もまた小さい。その条件は、タイと日本でかなり重なるように思う。
挟み撃ちされるのは、タイだけではない

Arm Tungnirun氏
Photo credit: Masaru Ikeda
3日目の基調講演に立ったタイにおける中国研究の第一人者、チュラロンコン大学アジア研究所中国研究センター長のArm Tungnirun氏は、AIの変革を3段階に整理した。
生成AI(2023年ごろから大規模展開、いま私たちがいる場所)、ソフトウェアAGI(推論、計画、自律的な意思決定を含む。展開は2030年ごろ)、フィジカルAGI(広範な物理的タスクを実行できる知的ロボット。2035年ごろ)。ただしTungnirun氏本人は、「このタイムラインが変化の速度を過小評価しているのではないかと疑っている」と付け加えた。
アメリカはソフトウェアAGIのフロンティアで優位を持ち、中国はフィジカルAGIに必要な産業エコシステム——製造、ロボティクス、バッテリー、EV、ドローン、サプライチェーン——において並外れた強みを持つ。
ソフトウェアAGIはますますホワイトカラーの仕事を代替する。フィジカルAGIはますますブルーカラーの仕事を代替する。数十年にわたり東南アジアの発展モデルは、競争力のある製造業と拡大するサービスセクターに依存してきた。いま、その両方が同時に破壊されつつある。
タイの会計士は、ますますアメリカのAIシステムと競争することになるかもしれない。タイの工場労働者は、ますます中国のロボットと競争することになるかもしれない。会計の側では、アメリカの Thrive Holdings が8月12日に評価額120億米ドルで20億米ドル超を調達したばかりで、同社の会計プラットフォームには50社超の会計事務所と2,000人超の専門職が所属し、税務エージェントが7,000件超の申告を98%の精度で処理して作成時間を30%以上削減したと発表している。ロボットの側では、中国の Unitree(宇樹科技)が8月19日に上海の科創板に上場し、初日の終値が450%超上昇、一時の時価総額は660億米ドルに達したのは記憶に新しい。
日本の会計事務所も、日本の工場も、同じ2つの力にはさまれる。しかも日本の場合、輸出製造業と国内サービス業という2本柱の構造は、タイよりむしろ純度が高い。
Tungnirun氏はここから、避けるべき落とし穴を3つ挙げた。
1つめは、「中立でいられると思い込むこと」
米中対立における東南アジアの立場は「どちらの側も選びたくない」と要約されがちだが、その言い方はテクノロジーの時代には不十分だ、と彼は言う。クラウドプロバイダーも、半導体サプライヤーも、AIモデルも、選ばないわけにはいかない。本当の問いは「選ぶかどうか」ではなく「どう選ぶか」である。中立の代わりに彼が置いたのは「戦略的分散」で、アメリカでも中国でも日本でもヨーロッパでも、能力とコストとアクセスの組み合わせが最良のものを都度選び、依存先を散らすという考え方だった。
2つめは、「AI採用が自動的にAI価値創造を意味すると思い込むこと」
ある国は、世界最大級のAI利用国になりながら、AIが生み出す経済的価値のごくわずかしか捕捉できない、ということがあり得る。その根拠は、スマートフォン革命だ。数十億の人々がユーザーになったが、最大の経済的価値を捕捉したのは、OS、半導体、プラットフォーム、知的財産、クラウドインフラを支配する、はるかに少数の企業と国々だった。
だから問うべきは、どれだけの企業がAIを使っているかではない。誰がデータとインフラとIPを所有し、生産性向上のどれだけが自分たちの経済の内側に残るのか、である。
日本にとってこの問いが抽象論でないことは、日経が報じた事例が示している。ソフトバンクがAI投資の資金として1兆円規模の個人向け社債を準備しており、日本企業が個人投資家向けに起債するものとしては過去最大になるという。日本の家計が、アメリカを中心とするAIインフラ建設の資金を出す中で、生産性向上がどこにもたらされるのかという問いは残る。
3つめは、「AIを持っていると言うためだけにAIを構築すること」
タイはシリコンバレーを模倣する必要はない。中国を模倣すべきでもない。はるかに単純な問いから始めるべきだ。タイがすでに持っていて、AIが増幅できるものは何か。彼が挙げたのは農業と食品、医療、観光の3つだった。戦略は「AIファースト」ではなく「タイの競争優位ファースト、そしてAIを増幅装置として」であるべきだ、と。
でも、タイ政府の動きには批判もある

「TH-AI Passport」ローンチの記者会見をする、タイのデジタル経済社会大臣Chaichanok Chidchob氏
Photo credit: The Secretariat of the Prime Minister, Thailand
Tungnirun氏の講演と同じ8月28日、バンコクの別の場所で、タイ政府は「TH-AI Passport」の公式ローンチイベントを開いていた。デジタル経済社会省(MDES)が16億2,100万バーツ(1バーツ4.85円換算で約79億円)を投じ、15歳以上の国民500万人に有料版の生成AIへの1年間のアクセスを無償提供する事業である。
対象者1人あたりに換算すると、年間約324バーツ(約1,570円)になる。束ねられるのは ChatGPT、Claude、Gemini、Grok に加え、タイ製の Pathumma LLM や Typhoon など。背景にはタイのAI利用率が人口の10.7%にとどまり、世界平均の16.3%を下回って89位という現状がある。一般提供の開始は8月31日だ。
発表直後から批判が続いている。野党・人民党の Teerachart Kotrakul氏は調達仕様書の透明性を問題にし、登録受付の期間が90日から30日に縮んだこと、処理能力の要件が説明なく跳ね上がったことを指摘した。人民党代表の Natthaphong Ruengpanyawut氏は事業の停止を求め、その予算は国内のAI産業を育てることに使うべきだと主張した。
つまり、Tungnirun氏が「AIを持っていると言うためだけに作るな」と壇上で語っていた日に、彼の国の政府は外国製の有料AIを国民に配るという、最も「消費者」寄りの選択を実行に移していた。Chidchob氏の Techsauce での講演では TH-AI Passport への言及は一切なかったが、Tungnirun氏の問いはこの事業に真正面から立ち向かったものとも言える。
日本では、デジタル庁がガバメントAI「源内」で使う国産の大規模言語モデルを公募し、15件の応募から7件を選定。2027年1月頃に評価・検証結果の一部を公表したうえで、2027年4月から優れたモデルを有償で政府調達する予定である。タイでは「その金で国内のAI産業を育てろ」と批判を受けるが、一方で、日本政府は税金で国内AI産業を育てようとすると、「使われないモデルを税金で買い続けるのか」と批判されるので、所変われば…という感じだ。
日本の設計は、少なくとも「持っていると言うために作る」型ではない。評価テストを先に公開し、結果を公表してから調達する順序になっている。問題はその先だ。7件のうち性能が届かなかったモデルを、2027年4月に外せるのか。国内チャンピオンにいったん政府契約を与えると、外すことの政治的コストは外国企業を外すより高くなる。

Photo credit: Masaru Ikeda
ここで、先送りにした1つめの落とし穴に戻る。米中対立における東南アジアの立場は「アメリカと、中国の、どちらの側も選びたくない」と要約されがちだが、話はそう簡単ではない。クラウドプロバイダーも、半導体サプライヤーも、AIモデルも、選ばないわけにはいかない。本当の問いは「選ぶかどうか」ではなく「どう選ぶか」である。
中立の代わりにTungnirun氏が提案したのは「戦略的分散」で、アメリカでも中国でも日本でもヨーロッパでも、能力とコストとアクセスの組み合わせが最良のものを都度選び、依存先を散らすことができるという考え方だった。
そのうえで彼は3つの未来の形を提示して講演を締めた。
消費者 …… 外国のモデルを使い、生産性は上がるが価値はよそへ流れる。
戦場 …… 米中競争のなかで選択肢が狭まる。
共創者 …… 大国間の競争を利用して技術と資本と人材を引き寄せ、自らの利益に従って選び、依存を分散させる。
「オーガニック成長では勝てない」からのAIロールアップ

Korawad Chearavanont氏
Photo credit: Masaru Ikeda
3日目、Amity 創業者兼エグゼクティブ会長の Korawad Chearavanont氏が壇上に上がった。同社はタイを拠点とするAI企業で、このセッションのテーマは「1億6,000万米ドルを調達したAmityが、タイからどうやって、グローバルAIプレイヤーを構築するのか」というものだ。
先に出自を書いておく。Korawad Chearavanont氏はタイ最大の財閥チャロン・ポカパン(CP)グループ創業家の4代目。CPグループは外部のスタートアップと組む仕組みを整える一方で、創業家自身が会社を立ち上げる文化を持っている。彼が Amity の前身となる Eko を創業したのは17歳のときで、伊藤忠商事を含む複数の企業が出資している。
そして彼は例外ではない。Central(チラティワット家)、CP(チャラワノン家)、タイ・ビバレッジやTCC(シリバダナバクディ家)——タイ経済の中枢を占める財閥はいずれも華僑系のファミリービジネスで、上場企業にも同族経営が多い。タイのスタートアップに財閥出身の若手起業家が目立つのは、その構造の裏返しでもある。
「過去50年、最大のテクノロジー企業・ソフトウェア企業・インターネット企業の90%は中国かアメリカから出ています。フロンティアモデルのトップ20〜30もほぼすべてそう。理由は明らかで、地元市場が大きいから。アメリカで1位なら、すでに世界で1位。彼らの土俵で彼らに勝つことはできません。タイからテクノロジー企業を作ろうと14年やってきて私が気づいたのは、私たちはオーガニック成長では勝てないということです。」(Korawad Chearavanont氏)
Amityの戦略はそこから逆算されている。新しい国に入るとき選択肢は2つで、ゼロから構築して営業チームを作り言語を適応させるか、買収して入るか。より大きな企業を相手に前者で成功する確率は非常に低い、というのが彼の結論だった。だから同社はソフトウェア企業を買収し、自社のAIチームを送り込んでコアプロダクトをAIプロダクトに変え、買収先の既存顧客基盤にアップセルする。この戦略を始めたのは2023年で、当時の年間売上は約1,000万米ドル。今年は2億米ドルに近づいているという。
「正直に申し上げると、AIロールアップ戦略を始めたとき、初期の資本を調達するのは簡単ではありませんでした。私たちは実はプライベートクレジットを使いました。最初は借り入れから始めたのです。最初の買収は、正直なところ、多くをデットで賄いました。」(Korawad Chearavanont氏)
ただし、この「借りるところから始めた」という話は、彼の立場を差し引いて読む必要がある。チャラワノン家はブルームバーグの2025年の集計で世界の富豪一族25位以内に入り、資産は533億米ドルとされる。彼自身も以前、同グループのフィンテック企業 Ascend Money に在籍していた。同じプライベートクレジットでも、誰が借りるかで条件も速度も別物になる。資金調達が「簡単ではなかった」という言葉の水準は、我々凡人のそれとは違う可能性が高い。
日本にとって皮肉なのは、日本の地元市場はタイよりはるかに大きい点だろう。だから日本のソフトウェア企業は国内市場で完結できてしまう。Korawad Chearavanont氏はヨーロッパと東南アジアを合わせて25兆〜26兆米ドル、中国と同規模の市場だと算段してヨーロッパを主戦場に選んだが、日本の会社はそういう計算をあまりしない。
日本に突きつけられた問い

Photo credit: Techsauce
資本をテーマにしたパネルディスカッションに参加した、パリに拠点を置くPE(プライベートエクイティ)Eurazeo の Ernest Xue氏は、東南アジアについて「世界的に見て、おそらく過去10年で最悪のDPI(出資者に実際に返した現金倍率)だった」と言い切った。Tungnirun氏が言った「共創者になる」という理念と、この数字のあいだには相当な距離がある。
その点、Amity の売上20倍のほうが検証可能だが、AIロールアップが10年後にどう評価されるかは誰にも分からない。買った会社をAI企業に変えるという仮説が外れたとき、手元に残るのは負債と、変わらなかった会社である。
それでもこの3日間が日本にとって有用なのは、答えではなく問いの立て方のほうだったと思う。自分たちがすでに持っていて、AIが増幅できるものは何か。オーガニック成長で届かない場所に、どうやって別の手段で入るのか。AIを使うことと、AIで稼ぐことの差を、どこで埋めるのか。
Mimeeが初日に呼びかけた問いに戻る。地図が描き直されつつある世界で、自分たちをどう再配置するか。日本はこの問いを、東南アジアほど切実に問うてこなかった。地元市場が大きく、産業基盤があり、当面は食えてしまうからだ。だが Tungnirun氏の言う2つの代替が日本にも同じように来るのだとすれば、切実さの違いは、単なる時間差にすぎない。
執筆者|エグゼクティブ・エディター池田 将(いけだ・まさる)
1973年大阪生まれ。12歳でIT関連誌への寄稿を始め、20歳の頃からアジア各国やシリコンバレーで新興技術の取材を行う。ベンチャーキャピタルでの技術デューデリジェンス、SI-erやコンサルティングファームの共同創業、ISPインフラや日本初のモバイルウォレット開発などに携わる。
2010年代には、アジアを代表するスタートアップメディアを共同創業し、約15年間運営。現在は、経済産業省のJ-Startup推薦委員、Tokyo Startup GatewayやMASPのメンターを務めるほか、韓国・延世大学で定期的に講義を行う。
2025年からは、「SOCIA」代表、「Growthstock Pulse」を運営するCohhのCCOとして新事業に取り組む。YouTubeやオーディオブック出演、メディア執筆、国内外のカンファレンス登壇など、多方面で活動中。
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