Masaru’s Eye | 委託料をもらうのか、知財を持つのか——長寿分野で日本のスタートアップが立てる3つのポジションを考える

2026年9月15日、渋谷で開かれた Longevity Minds のローンチイベント
2年前、Tokyo Longevity Summit を取材したとき、この分野の核心は「リソース配分」にあると書いた。老化は誰にでも訪れるのに、寿命を延ばす研究に回っている資金はアメリカ国立衛生研究所(NIH)予算の0.5%、世界のバイオテック投資の3%程度にすぎない、というのが登壇者の指摘だった。
だが今、その資本の配分経路が少しずつ変わり始めている。賞金1億100万米ドルの「XPRIZE Healthspan」には600を超えるチームが参加し、決勝に残った20チームのうち5チームを日本勢が占めた。賞金の最大拠出者はサウジアラビアの Hevolution 財団で、臨床試験は2029年まで続く長丁場だ。
2026年9月中旬、渋谷で開催された長寿研究コミュニティ「Longevity Minds」のローンチイベントには、その日本勢5チームのうち3チームが顔を揃えた。
世界屈指の長寿国であり、研究蓄積もある日本は、この分野で一定のプレゼンスを持つ。しかし一方で、「産業(スタートアップ)として大きな成功を生み出せていないのではないか」という問いも常に突きつけられている。再生医療の歴史を繰り返すのか、それとも「ヘルススパン(健康寿命)」の時代で勝ち筋を見出すのか。
イベントで語られた3つのセッションから見えてきたのは、スタートアップがグローバル市場で直面する「評価の基準(ルール)を誰が決め、試験の費用を誰が出し、そこから生まれる権利(知財)が誰に残るのか」という、極めてシビアなポジション争いの現実だった。
「少数の天才」ではなく、「厚み」と「ルールの出口」

政策セッションで話す菱山豊氏(右)と、聞き手の山本修三氏。菱山氏は、長寿社会に向けた課題として、医療保険や労働市場、生涯教育などの制度改革を挙げている。
政策セッションに登壇したのは、文部科学省で生命科学政策を担い、AMED(日本医療研究開発機構)設立にも関わった順天堂大学特任教授の菱山豊氏だ。会場からは容赦ない質問が飛んだ。「再生医療では研究の道筋を作ったが、産業としては育たなかった。ヘルススパンでは何を変えるのか?」
菱山氏は、かつて担当課長としてノーベル賞受賞前の山中伸弥教授を支援した経験を振り返り、「大きな流れを作るのは少数の天才ではなく、関心を持つ優秀な若手研究者の厚みだ」と語った。
実際、「日本でスタートアップが育っていない」という指摘は半分正しく、半分は誤りだ。2026年3月には、クオリプス(心筋シート)と住友ファーマ(パーキンソン病治療細胞)によるiPS細胞由来製品が世界初承認された。だが、これらいずれも「条件及び期限付承認」であり、本格的な普及とマネタイズの検証はこれからだ。過去には制度第1号だった製品が市販後に有効性不十分と判断された例もあり、iPS細胞の発見から社会実装まで20年近くを要している。
菱山氏は「長寿分野には日本に大きな可能性がある。それは創薬だけでなく、栄養や運動といった領域に広がるからだ」と展望を述べた。しかし、この「栄養や運動」という戦場で勝ちきるためのハードルは、この後に説明する2つの事例が鮮明に物語っている。
シリコンバレーのAIスタートアップが目をつけた「安くて高品質な日本のマウス」

Integrated Biosciences 共同創業者の大森聡貴氏(左)と、聞き手を務めた age.house 共同創業者の William Ferreira Andrén 氏。
シリコンバレーに拠点を置く Integrated Biosciences は、MITとBroad Instituteの研究成果をベースに2022年に設立されたAI×老化バイオテックだ。AIで老化細胞を除去する化合物(セノリティクス)を探索している。
同社で老化生物学を率いる大森聡貴氏によれば、同社はイン・シリコ(計算機上でのシミュレーション)で80万以上の化合物を評価し、すでに3,000〜4,000匹のマウスで600の化合物を試したという。今後さらに数千の化合物を試すため、同社がいま探しているのが「日本の実験マウス施設」だ。
理由は明快である。「アメリカの実験コストは高すぎる」からだ。
実際、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の学内飼育料(ケージあたり1日1.21ドル=約186円)と日本の国立大学の料金(約50円)を比べると、日米で3〜4倍近い価格差がある。円安も相まって、日本の研究環境や受託試験(CRO)は、海外スタートアップから見て「極めて高品質でリーズナブルなインフラ」に映っているのだ。地政学リスク(アメリカのBIOSECURE法成立等)も手伝い、日本の大手CROへの海外受注は急増している。
一見、日本の研究機関や企業にとってビジネスチャンスに見える。しかし、ここには大きな構造的落とし穴がある。
質疑応答で「自社の老化基盤モデルをオープンにするか」と問われた大森氏は、「自社専有だ」と即答した。つまり、どれだけ日本の施設で丁寧にマウスを育て、高品質なデータを取得しても、それによって訓練された「AIモデル」や「特許・知財の上振れ益(アップサイド)」はすべて発注元であるアメリカ企業のものになる。日本側に残るのは、単なる「受託作業の対価(手数料)」だけだ。
これは、「コストと品質の優位性」だけで勝負していると、気づいたときにはグローバルAIバイオテックの「便利な下請け」で終わってしまうリスクを浮き彫りにしている。
「ハイチュウ」の森永製菓が、なぜアメリカのコンペティションで評価されたのか

XPRIZE Healthspan のセッション。左からモデレーターの須藤潤氏、Japan Longevity Consortium の堀江重郎氏(順天堂大学特任教授。日本におけるメンズヘルス外来の先駆者で、抗加齢医学の第一人者)、東京大学 合田研究室 特任助教の崔容賢(チェ・ヨンヒョン)氏、森永製菓 新領域創造事業部チーフマネージャーの松井悠子氏。
では、下請けを脱し、自社の価値をグローバルに証明するにはどうすればいいのか。そのヒントを示したのが、XPRIZE Healthspan の決勝に勝ち残った森永製菓の事例だ。
森永製菓は10年以上前からパッションフルーツ種子由来の抗老化素材「パセノール」を展開してきた。しかし、日本の薬機法・機能性表示食品の枠組みでは、食品が「抗老化」や「若返り」を謳うことはできず、訴求は「肌のうるおい」や「脂肪消費」にとどまっていた。自社素材の持つ潜在価値が、国内の制度によって制限されていたのだ。
そこで同社が挑んだのが、XPRIZEという「世界基準の共通プロトコル」だった。
50〜90歳を対象に、1年以内の介入で筋力・認知・免疫機能を10年分回復させる——この共通の物差しに乗ることで、自社の食品素材を幹細胞や既存薬と同じ土俵で横並び比較してもらえる。
印象的だったのは、会場で「何が変わったのか」と問われた森永製菓の松井悠子氏の言葉だ。
「製品は変わっていない。変わったのは考え方だ」
この挑戦を仕掛けたのは、ハーバード大学出身の起業家が率いるスタートアップ ASAGI Labs(早野元詞氏)だった。グローバルの競争ルールを熟知したスタートアップが、豊かなデータと歴史を持つ大手食品メーカーと組み、海外の評価フレームワークへ担ぎ出したのだ。
起業家が自問すべきポジションと、今日からの視点

2026年9月15日、渋谷で開かれた Longevity Minds のローンチイベントで開会の挨拶をする創設者の山本修三氏。
今回提示された3つのセッションを俯瞰すると、グローバル市場におけるプレイヤーの「立ち位置」と「得られる取り分」の関係がくっきりと浮かび上がってくる。
1つ目は、コストと質の高さを武器に試験や開発を担う「受託(CRO)」のポジションだ。確実な対価と稼働を得られる一方で、取得データから生成される基盤モデルや特許といった最大のアップサイドは、発注元に握られてしまう。
2つ目は、他者が設計した共通の評価基準に挑む「プレイヤー」のポジションである。森永製菓のように、既存の国内制度では言語化できなかった潜在価値を世界レベルの物差しで再定義し、客観的な信用を獲得できるが、失敗のリスクと臨床試験費用は自社で背負わなければならない。
そして3つ目が、そもそも「何をもって効果とするか」という測定指標や評価基盤そのものを設計する「ルールメイカー」のポジションだ。ここに関与できた者こそが、エコシステム全体の中で最も巨大な果実を手にする。
この構図は、バイオやディープテックに限らず、SaaSやAIをはじめとするあらゆるスタートアップの戦場にそのまま当てはまる。自社がいまどのレイヤーで勝負しているのかを自覚しないまま、単に「海外展開」や「資金調達」に走っても、知らぬ間に他者のルールの上で都合の良い下請け構造に組み込まれてしまうリスクがある。
だからこそ、起業家が今日からの実務で立ち止まって考えるべき視点がある。まず、自社プロダクトの価値が国内の狭い規制や既存の業界慣行で正当に評価されていないと感じるなら、自ら世界基準の第三者評価やコンペティションの枠組みへ飛び込んで価値を解き放つ視点を持つことだ。また、海外企業からの受託や共同開発を受ける立場に立つのであれば、円安やコスト優位性という交渉力があるうちに、単なる作業対価だけでなくデータの利用権や優先交渉権といった将来のアップサイドを果敢に要求する姿勢が欠かせない。
何より、ルールや評価軸がまだ固まりきっていない黎明期の領域に、1日でも早く足を踏み入れることだ。森永製菓のような歴史ある大企業をグローバルコンペの舞台へ連れ出したのが ASAGI Labs というスタートアップであったように、標準化前のコミュニティやコンソーシアムにおいては、実績のない小さな会社であっても「制度の設計側」として最初の席に着くチャンスが残されている。技術やプロダクトそのものを磨き込むことと同時に、自分たちはどの物差しの上で、どのレイヤーの取り分を狙いにいくのかという戦略的な眼差しを持ち続けることこそが、グローバルで真に勝ち残るスタートアップの条件となるはずだ。
執筆者|エグゼクティブ・エディター池田 将(いけだ・まさる)
1973年大阪生まれ。12歳でIT関連誌への寄稿を始め、20歳の頃からアジア各国やシリコンバレーで新興技術の取材を行う。ベンチャーキャピタルでの技術デューデリジェンス、SI-erやコンサルティングファームの共同創業、ISPインフラや日本初のモバイルウォレット開発などに携わる。
2010年代には、アジアを代表するスタートアップメディアを共同創業し、約15年間運営。現在は、経済産業省のJ-Startup推薦委員、Tokyo Startup GatewayやMASPのメンターを務めるほか、韓国・延世大学で定期的に講義を行う。
2025年からは、「SOCIA」代表、「Growthstock Pulse」を運営するCohhのCCOとして新事業に取り組む。YouTubeやオーディオブック出演、メディア執筆、国内外のカンファレンス登壇など、多方面で活動中。
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